ライン査定 無料買取査定依頼

HOME > 作家紹介(有元利夫)

有元利夫
Toshio Akimoto
ありもととしお

ご売却に関しての詳しい情報は買取方法についてをご覧ください。

有元利夫の作品を高価買取いたします。
美術品買取市場までお気軽にお問い合せください。
この作家の買取査定申込みはこちら


    • 花咲く頃/有元利夫


    • 春/有元利夫


    • 蒼い風/有元利夫


    • 占いの部屋/有元利夫


    • 遊戯/有元利夫


    • 3 pieces de JEUNE FILLES 90/有元利夫
略歴  
【1946年 (昭和21年)】
9月23日、有元吉民・琴子の四男として一家の疎開先である岡山県津山市小田中に生まれる。家族は祖母・み子、父母、長兄・真一、次兄・靖男、三兄・信夫。

【1947年 (昭和22年)】
生後3ヶ月余りの1月、祖母と母、そして3人の兄とともに上京。

【1953年 (昭和28年)】
4月、台東区立谷中小学校に入学。
在校中、油彩を始め、絵画コンクールに出品した「友人(木版画)】」が、最優秀賞に選ばれ知事賞を受ける。

【1959年 (昭和34年)】
4月、台東区立上野中学に入学。

【1962年 (昭和37年)】
4月、私立駒込高等学校に進学。
当時東京藝術大学の大学院生だった版画家の中林忠良が、美術の時間講師として教鞭を取る。中林との出会いにより、絵の道を志す。

【1965年 (昭和40年)】
3月、私立駒込高等学校を卒業。

【1969年 (昭和44年)】
4月、東京藝術大学美術学部デザイン科に入学。
芸大在学中、日本画科、彫刻科、版画研究室、さらには音楽学部にまで足を伸ばし、広く多方面にわたって吸収する。
後の夫人・渡辺容子と出会う。

【1971年 (昭和46年)】
3月、初めての海外旅行でヨーロッパへ。
最初に足を踏み入れた地で、フレスコ画・カタコンベの壁画に対面。また、フィレンツェでフレスコ画と日本の仏画に共通点を見出し、日本に帰ったら岩絵具をやってみようと決意。
一方、デザイン科全員で古美術研究旅行をし、京都・奈良に残る多くの古美術を鑑賞。

【1972年 (昭和47年)】
丸山寿嗣、箕浦昇一、北村治、三井卓大、有元利夫の5人共同で朝日広告賞および毎日広告賞に応募し、毎日広告賞で佳作に入選。
ヨーロッパの古典絵画や日本の仏画に強い興味を持っていたことから卒業制作で「私にとってのピエロ・デラ・フランチェスカ」という題で、10点連作の作品を作る。
10月23日、電通に就職が決まったのを機に、東京藝術大学日本画科を卒業していた渡辺容子と結婚。

【1972年 (昭和47年)】
丸山寿嗣、箕浦昇一、北村治、三井卓大、有元利夫の5人共同で朝日広告賞および毎日広告賞に応募し、毎日広告賞で佳作に入選。
ヨーロッパの古典絵画や日本の仏画に強い興味を持っていたことから卒業制作で「私にとってのピエロ・デラ・フランチェスカ」という題で、10点連作の作品を作る。
10月23日、電通に就職が決まったのを機に、東京藝術大学日本画科を卒業していた渡辺容子と結婚。

【1973年 (昭和48年)】
3月、同大学卒業。卒業制作は大学買上げとなる。
月、電通に入社。
7月、葉工房1回展(箕浦昇一と二人展)】をギャルリー・ド・ジョワイユで開催。

【1974年 (昭和49年)】
6月、箕浦昇一と本格的な二人展をみゆき画廊で開く。
「曙光」「運動する人」などを出品。
1975年 (昭和50年)】 谷中の実家近くに自分のアトリエを持つ。
6月、初めての個展をみゆき画廊にて開催。
「こもりく」「重奏」「手品師」「麗色」「夜の居間」など18点出品。
この後、毎年のようにみゆき画廊をはじめ、大阪や名古屋等で個展やグループ展を開催。

【1976年 (昭和51年)】
3月31日、電通を退社。
4月、母校の東京藝術大学で非常勤講師になる。

【1978年 (昭和53年)】
4月、「花降る日」が第21回安井賞特別賞を受賞。

【1979年 (昭和54年)】
5月、第3回具象現代展に「部屋の遊戯」「ある経験」の2点出品、優秀賞を受賞。

【1981年 (昭和56年)】
2月、第24回安井賞展で「室内楽」が安井賞を受賞。

【1983年 (昭和58年)】
5月、第2回美術文化振興協会賞を受賞。

【10月19日、長男・利彦が生まれる。

【1984年 (昭和59年)】
2月、第1回日本青年画家展が日本橋三越で開かれ「7つの音」が優秀賞を受賞。
11月3日、入院。

【1985年 (昭和60年)】
2月24日、肝臓癌で逝去。38歳。

ページトップ