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片岡球子
Tamako Kataoka
片岡球子(かたおか たまこ)

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    • 富士 西湖/片岡球子


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    • 富士/片岡球子


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    • 雪(めでたき富士)/片岡球子
略歴  
【1905年(明治38年)】
1月5日、札幌市東区北8条東1丁目で酒・味噌・醤油の製造業及び木材業を営む片岡家の8人兄弟の長女として生まれる。父、喜三郎。毋・多賀。

【1923年(大正12年)】
3月、北海道庁立札幌高等女学校(現・北海道札幌北高等学校)師範科を卒業。小学校正敎員免状を取得。
親友の一言から女医になるのをやめ日本画家を志す。
4月、女子美術専門学校(現・女子美術大学)日本画科高等科入学。日本画家・吉村忠夫の指導を受ける。

【1926年(大正15年)】
3月、女子美術専門学校日本画科高等科を卒業。
4月、横浜市立大岡尋常小学校(現・横浜市立大岡小学校)教論になる。

【1930年(昭和5年)】
8月31日、第17回日本美術院展に「枇杷」が初入選。
研究会員になる。

【1933年(昭和8年)】
第20回院展で「学ぶ子等」が入選。

【1935年(昭和10年)】
3月、第19回日本美術院絵画部試作展で「炬燵」が試作賞を受賞。

【1938年(昭和13年)】
11月、日本美術院絵画部研究会員研究会で「寒空」が大観賞第一賞を受賞。

【1939年(昭和14年)】
6月、日本美術院絵画部研究会で「新緑」が大観賞第二賞を受賞。
9月、第26回院展で「緑陰」が入選。
院友になる。

【1942年(昭和17年)】
5月、日本美術院絵画部研究会で「祈祷の僧」が大観賞を受賞。

【1946年(昭和21年)】
安田靫彦の指名により中島清之とともに安田邸を訪れ、入門。
9月、第31回院展で「夏」が日本美術院賞を受賞。

【1948年(昭和23年)】
9月、第33回院展で「室内」が日本美術院賞を受賞。

【1950年(昭和25年)】
9月、第35回院展で「剃髪」が日本美術院賞、白寿賞を受賞。

【1951年(昭和26年)】
9月、第36回院展で「行楽」が奨励賞、白寿賞を受賞。
このころ東京芸大山本豊市教授より彫刻デッサンを学ぶ。

【1952年(昭和27年)】
9月、第37回院展で「美術部にて」が日本美術院賞、大観賞を受賞。
日本美術院同人となる。

【1955年(昭和30年)】
3月、横浜市立大岡小学校を依願退職。
4月、女子美術大学日本画科専任講師になる。
9月、横浜市南区大岡町から東京都世田谷区粕谷町に転居。

【1960年(昭和35年)】
4月、女子美術大学日本画家助教授に就任。

【1961年(昭和36年)】
1月、「渇仰」が昭和35年度文部省買上げ作品となる。
3月、第11回芸術選奨文部大臣賞を受賞。
9月、第46回院展で「幻想」が文部大臣賞を受賞。
10月、日本美術院評議員となる。

【1962年(昭和37年)】
10月、初の渡欧。
フランス・イタリア・イギリス各地の美術館を巡る。
11月、帰国。

【1965年(昭和40年)】
4月、女子美術大学日本画科教授に就任。
神奈川県立近代美術館賞を受賞。

【1966年(昭和41年)】
3月、女子美術大学客員教授になる。
4月、愛知県立芸術大学が開校し、日本画科の主任教授に就任。
この年から、「面構」「富士」両シリーズの制作を開始。

【1970年(昭和45年)】
9月、北海道庁の依頼で「函館街頭風景」を制作(道庁赤レンガに展示)。
神奈川県藤沢市辻堂東海岸に転居。

【1973年(昭和48年)】
3月、定年により愛知県立芸術大学客員教授となる。

【1975年(昭和50年)】
5月、自伝「情(こころ)ありて」を執筆、7回にわたり「新潟日報」に連載される。のち「神奈川新聞」などにも掲載される。
6月、「面構 鳥文斎栄之」が第23回日本芸術院恩賜賞を受賞。

【1976年(昭和51年)】
11月、勲三等端宝章を受章。

【1978年(昭和53年)】
5月、日仏現代美術パリ展(パリ、グラン・パレ)で「喜多川歌麿」が国際交流基金買上げとなる。
11月、第27回神奈川県文化章を受章。

【1981年(昭和56年)】
5月、日本美術院理事となる

【1982年(昭和57年)】
12月、日本芸術院会員となる。

【1986年(昭和61年)】
11月、文化功労者となる。

【1989年(平成元年)】
5月、第42回中日文化賞受賞。
11月、文化勲章を受章。

【1990年(平成2年)】
6月、藤沢市名誉市民となる。

【1993年(平成5年)】
5月、愛知県立芸術大学教官・卒業生と約20年かけた「法隆寺混同壁画模写」全32面が完成、一般公開。

【1996年(平成8年)】
4月、愛知県立芸術大学美術学部に愛知県奨学基金として1億円寄贈。

【1999年(平成11年)】
12月、都営地下鉄大江戸線築地市場駅構内の「ゆとりの空間」に設置される「江戸の浮世絵師たち」原画制作。その複製陶板が完成し、築地・朝日新聞東京本社で公開される。

【2008年(平成20年)】
1月16日、急性心不全のため逝去。103歳。
叙従三位。

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